20代で教師をクビになり、エリートから転落して家を飛び出しソープ嬢に。やがてヒモを殺害して刑務所へ……主人公・川尻松子の波瀾万丈な人生を真正面から描いた「嫌われ松子の一生」。
このベストセラー小説を、『下妻物語』(’04)で高い評価を得た中島哲也監督とそのスタッフが映像化。(サイトより引用


『不幸って何?』



映画『下妻物語』以来中島哲也監督のファンになってしまった私は、監督の次回作『嫌われ松子の一生』を首を長~くして待ち続けているが、どうやら私が知らない間に『嫌われ~』のサイトが出来上がっていたようだ。


山田宗樹による原作は『笑ってしまうくらい不幸な女・川尻松子』の波乱万丈の人生を描いたミステリータッチのチョイ重めの作品だが、サイトで流されている劇場版特報を観た印象では、今回も中島監督は下妻物語と同様に己のテイスト(生産的バカバカしさ)全開で映画的解釈を行うようだ。まるで、『不幸自体をディズニーのようなファンタジーにして、逆説的に生きてゆくすばらしさを描いてやる!』とでも言わんかのように。


この映画を心待ちにしているファンが集うサイトを覗いてみると、原作と映画のあまりのギャップにとまどい、『原作者が快く思わないのでは?』という心配をされている方もいるようだ。しかし、それは杞憂というものだろう。以前、大沢在昌氏や宮部みゆき氏(最近は女性にも氏ってつけるんだね)に『自分の小説を映画化されることの感想』を聞いたことがあるのだが、両氏とも『小説と映画は全く別物だから気にならない』とおっしゃっていた。むしろ、映画監督の独自の解釈で自由に創作される方が好ましいとも。もともと、小説には『読んだ者が共通にもてる絶対的なイメージ』なぞ存在しえない。人間の想像力は千差万別、十人十色。百人読めば百の世界観ができあがるはずだ。だから、一映画監督が自分のイメージで解釈した映像作品に対し、原作の作家がとやかく言える立場ではないし、言うだけ野暮というものだ。言えるのは『映画の出来』等の客観的な感想ぐらいのものだろう。その点、大沢オフィスの、大沢、宮部、京極の三氏はメディアの違いというものを良く理解し割り切っておられる。


中島監督も多分、『原作と映画は別物』という認識は強く持っておられるのではないかと思われる。どうか『嫌われ~』も『下妻~』同様、思う存分『中島節』を披露してもらい、原作者が嫉妬するぐらいおもしろい作品に仕上げてほしいものだ。


 


――映画化された大沢オフィス作品の大半がこけているのは、監督やスタッフが原作を意識しすぎてその力を発揮できなかったからではないか?と推測する文鳥

投稿者 mori-game

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