「小説家になることは簡単だ。小説家でい続けることが大変なんだ」
――直木賞作家/大沢在昌
この言葉は、私が『新宿鮫』や『天使の牙』等で有名な直木賞ミステリー作家(現ミステリー作家協会理事)の大沢在昌氏から聞いた忘れられぬ言葉だ。
私は以前、大沢氏の原作によるテレビゲーム制作のディレクションをはったことがある。氏は大変なゲーム好きで(特にバイオハザードが大好き) そのプロジェクトにも本人自らスタッフのひとりという意識で参加された。普通、氏のような多忙な有名作家がゲーム制作に参加するときは、大抵、元ネタだけ考えて、あとは現場スタッフに丸投げして監修のみというパターンが多いが、氏はそういう手ヌキ?をやらず、ズッポリとゲーム制作に参加された。さすがハードボイルド作家、『半端な仕事はやらねえぜ…』という感じで。
制作を始めた時、私はなれぬ売れっ子作家との仕事に緊張していた。当時に若干の引け目も感じていた。『俺のような無名に近いゲーム屋が、氏のような有名作家に指示を出すような仕事をしていいんだろうか?』そんな弱気な気持ちをいだいていたある日、私は大沢氏に何気に話かけた。
『私って、今まで誰もが知っているようなビッグヒットゲームを創ったことがないんですよね…』
それを聞いた大沢氏が答えた。
『ヨネさん(私のことを氏はこう呼んでいた)って、何年、ゲーム作っているの?』
『はぁ、そうですね… 15、6年ぐらいですか(当時)』
『それで、十分だよ。肝心なのはプロとして食い続けることなんだ。15年もやってこれたのは大したもんだよ。ヒットなんか気にすることはないよ』
私は大沢氏のその言葉に大いに励まされた。そして、つまらない事にこだわっていた自分を恥じた。
『小説家だってそうだよ。小説家になることは簡単だ。小説家でい続けることが大変なんだ』
プロでい続ける。それは、常に自分と、そして絶え間なくそのニーズが変化するユーザーとの闘いだ。少しでも安直路線を考えようものなら直ぐにプロの世界からはじき出される。ただ、私は大沢氏のように一人で闘ってきたのではなく組織の一員としてのプロだったので少しは楽だった。だから、氏の言葉を自分に当てはめ比較するのは思い上がりだとはわかっていたが、私は素直にその言葉を受け止め以後のゲーム制作(大変でした…)の心の支えにしていった。
あれから幾年。もう大沢氏と会うことはなくなったが、たまにテレビや雑誌で氏の活躍されている姿を見ては、その時の言葉を思い出す。
――常に憐憫の情を大切にしたいと思っている文鳥