ゲームプロデューサーの岸本さんと10年ぶりに再会し食事をした。岸本さんはあのゲーム史に残る名作”熱血硬派くにおくん”や”ダブルドラゴン”の正真正銘の生みの親だ。現在は某会社に席を置きネット関係のコンテンツを開発しているそうだ。
「なんか、あっという間だったねえ」と言いながら、時の流れの早さに驚きつつ、ゲーム黎明期から生き抜いてきた戦友?と交わすビールの味は、いつもと一味違っていた。驚くことに岸本さんは昔とぜんぜん変わっていなかった。普通、男も40過ぎれば”保身”が様になって、妙に疲れきった?落ち着きを見せてくるものだが、岸本さんの場合、それは当てはまらなかった。相変わらず”若く、無邪気”だったのだ。(もちろんいい意味で) 私はその理由を彼と話しながら見つけることができた。そう、彼は今だ”モノを創る夢”を信じて、そして現場で、現役でゲームを作り続けているからだった。(先日あったキャメロットの高橋兄弟と同じだなぁ…)
「正直、僕は最近”くにおくんの岸本”と言われることに、ちょっと抵抗を感じるんですよ」
彼から意外なセリフを聞いた。岸本さんの形容詞ともいえる”くにおくん”の冠を彼自身が嫌がったのだ。理由を聞くと、彼は”モノ創り”というのは、常に前進して行かなければならない。もっとゲームというものを突き詰めてゆきたい。だから僕は過去の栄光にすがりたくないんだ」と――。 いやはや、聞いていて嬉しくなった。彼の熱血魂は今だ健在だったのだ。
思えば私がゲーム業界に入って23年。その間、いろんなゲームクリエイターに出会ったが、ほとんどが消えていった。そんな中、今だ熱血魂を忘れないでいる彼の生き様を見ていると同業者として、いや、いち”モノ創り”として本当に勇気付けられる。私は”モノ創り”という職業は”生き様”だと思っている。ただ飯を食う為だけのものなら、こんなに割が合わない職業はないからだ。だから、自分が創るモノには、ひとつひとつ”こだわり”を持ちたいと思うのは人情だ。その”こだわり”があったからこそ、岸本さんも、そして私も今までやってこれたのかもしれない。
「また、皆で集まって、一発ドカンとゲームを創りたいね!」
「ゲーム業界黎明期組のおっさんパワーを見せなきゃ!」
――と、心地良い酔いも手伝って二人で決意した後、私達は、台風一過で蒸し暑くなった新宿の街でまたの再会を約束して別れた。
熱血硬派、今だ健在なり!
PS:岸本さんのサイト『熱血硬派』には、彼が今まで作ったゲームのことや、ゲーム論など、非常に参考になることが書かれてあります。また、彼が作った今一押しのゲーム『フィーア』もプレイすることができます。ゲームクリエイターを目指しているそこの君! 是非、ご覧あれ!