長年飼っていた文鳥のピコザ(本名ピコざえもん)が昨夜、天へ向かって飛び立った。
10歳になるのかなぁ……。 人間の年齢に換算すると70歳以上になるそうだ。一般的に文鳥の平均寿命は7~8歳というらしいから(実際はもっと長いような気がするが)、わりと長生きしてくれたほうだと思う。
在りし日のピコザ (私のハンドルネームである平野文鳥の”文鳥”は彼がモデルです)
ピコザは大泉学園のZOOのペットショップ生まれで一番最初に飼った文鳥だ。去年天に向かって飛び立ったチロと同様、私の心を長年癒し続けてくれた愛すべき鳥だったので、彼がご機嫌な時にさえずるラブソングがもう二度と聞けなくなるのは正直、さびしい……。(ジュラシックパークごっこも…)
『繋がりの重さなんだなぁ……』(強さではなく、あえて重さ)と思った。相手が人間だろうが、動物だろうが、虫だろうが、植物だろうが、そのものとの繋がりの重さが、そのものに対する想いや存在感の重さに比例してゆくということは、別にここであらたまって書くほど特別なことじゃないが、今回、ピコザという他人からみれば『ちっぽけな小鳥の死』が、私にとってはテレビのニュースで報道される赤の他人の死よりも大きな意味に感じてしまったことは、そのことを証明しているのかもしれないな、と思った。
ピコザの亡骸は先に天へ飛んでいった仲間の文鳥たちの墓の奥に埋めてやった。すぐ横にピコザの姉さん女房で先に天へ飛んで行った『さくら』の墓がくるように。
我が家のペットセメタリー。
ピコザだけにちょっとリッチな墓石を買ってきてあげたので、他の鳥達から『えこひいきだよ、ピ~ッ!』とクレームがでそうだが、まぁ、君達の大先輩で、かつ10年もがんばって生き続けたのだから、これぐらいは大目にみたまえ。
ピコザは病(副鼻空炎+肝臓炎、老齢+換羽期)で苦しみながらも最後の最後まで生きようとがんばってくれた。噛む力もなくなったのに、それでもエサを食べようとしていた。その小さい『生』を最後まであきらめず燃やそうとする姿は、正直、私の心をうった。
ありがとう、ピコザ。 普通ならさようならだが、あえて、ありがとうと言わせてもらうよ。
ピコザを埋めたあと、墓のすぐ側に数羽のスズメたちが飛んできた。庭の柵にとまり、なにやらこちらを観察するかのようだった。野鳥は飼鳥よりもさらにその寿命が短いという。すこしでも長生きしてほしいものだと思った。