さすがに現地にまでは行けなかったが、今年のE3は非常に興味深い展開になっていたようだ。この30年間、テレビゲームは、ほぼ5年単位で技術的、コンテンツ的になんらかの細かい変化をとげてきたが、今回のE3の情報を見る限りでは、『ついに、大きな変化がやってくるな』という予感をせずにはおられない。



メーカーも、そのスタンスをかなりはっきりとさせてきたようだ。今までのテレビゲームの固定概念にこだわらず、あたらしいゲーム(遊び)のスタイルを作り出そうとする『ユーザー指向』の任天堂。その機種名がそのコンセプトでもある、家庭の中に『プレイ(遊びやエンターテインメント)』の『ステーション(集中管理家電)』、つまり『プレイ・ステーション構想』を具現化しようとする『技術指向』のSCE。そして、ゲーム機、ウインドウズ、モバイルをネットで繋ぎ、あたらしいネットエンターテイメントのビジネスを作り出そうとする『ビジネス指向』のマイクロソフト。全社各々その指向性は違っているが、ただ全社に共通にするのは『次世代機』という『物』自体に対するこだわりというより、次世代のコンピュータゲーム……いや、もう、そういう古い名詞ではくくれない、次世代のデジタル・エンターテインメントの『スタイル』の追求だと思われる。(どうも、ソニーとマイクロソフトの覇権争いの色が濃くなりそう)


今から30年前、私はエポック社がだした国産発のコンピュータゲーム(テニスゲーム)をやった時の感動が今でも忘れられない。それは、テニス自体のゲーム性にではなく、未知なるブラックボックスであったコンピュータ(昔はマジで電子頭脳という認識だった)で遊べるという好奇心と、テレビ画面に自分の操作が反映されるというインタラクティブ性の新鮮さからくる感動だった。それから私はこのコンピュータという計算機が作り出す新しいエンターテインメントの可能性に並々ならぬ興味を持ち業界で飯を食ってきた。言い換えれば、ゲームの中身というより、ゲームの外に興味を持ち続けることで業界でのモチベーションを持ちつづけた。だから私はゲームクリエイターでありながら、RPGとは? シューティングとは? アクションとは? 等の既存のカテゴリー論は『木を見て森を見ず』的議論にしか思えず、あまり熱心ではない。そもそも、テレビゲームの『ゲーム』という言葉自体にも疑問をもっているぐらいだ。それはアナログゲームやスポーツゲーム等の『ルール』をベースに遊ぶ『ゲーム』という概念でかたづけるほど、コンピュータの持つ遊戯的可能性は狭くはないはずだと思っているからだ。 どちらかというと、個人的にはゲームという言葉より、エンターテインメントという言葉の方がシックリくる。まぁ、このような考え方だったから私が過去に企画したゲームのほとんどが既成のゲーム性にこだわらない一風変わった発想のものばかりだったのかもしれない。(だから、ゲーム性が甘かったのかなぁ……トホホ……反省)


さて、30年間、『ゲーム』という概念にこだわりつづけたゲーム業界だったが、10年前からユーザー離れが加速し始めた。原因はいろいろあろうが『ゲームがつまらなくなったから』という理由はあてはまらない。ゲームは確実にそのシステム、表現法とも高度、かつ、おもしろくなってきている。Webやモバイル等の新しいメディアの台頭によりユーザーの興味がそちらへ移っていったという理由はアリだろう。しかし、私はそれ以上に業界がテレビゲームの『ゲーム』の概念に振り回されすぎたことにも問題があったのではないかと思っている。驚異的に進化したコンピュータの技術だが、結局、テレビゲームにおいてその技術は何故かゲームシステムやスタイルではなくグラフィックのクオリティーに費やされたにしか過ぎない。(それ自体は悪くはないが) 何故、他のものに応用されないのか? 何故、ゲームの中にばかりしか目がゆかないのか? 何故、ゲームの外にも応用されないのか? 何故、今までの『ゲームの概念』にこだわるのか? いったいコンピュータが産み出す『遊び』とは何だったのか? 常に進化するコンピュータ技術なのに、何故か進化しないコンピュータの遊び。 もちろん未だに生き残ってそれなりの進化?を続けている人気ゲームもあるが、それらはコンピュータのゲームとして生き残っているのではなく、『できのよい作品』だったから生き残っていると言えるのではないだろうか? 実は、私は、10年前からこのままでは確実にコンピュータゲームの未来はしぼんでゆくなと思っていた。


さらば、テレビゲーム……。


ところが、業界もバカではなかった。いい飯を食ってすっかり太ってしまったその重たいケツ、いや、腰をやっと(ゆっくりとではあるが)上げ始めたようだ。それが今回のE3に感じられた。特に、任天堂は『コンピュータを使った玩具としてのエンターテインメント』の原点にもどったようだ。ソニーもゲームという古い概念にこだわらないコンピュータを使った多種メディアのエンターテインメントの集中管理を、マイクロソフトはネットというメディアをフルにつかったエンターテインメントビジネスのスタイルを追求し始めたようだ。(あくまで私の分析にすぎないが)


原点回帰? ゲーム業界のルネサンス? 歴史は一巡し、今主役は、その歴史のスタート地点にあった『コンピュータ技術と人との幸せな関係』とならねばならないと思う。もう古いコンピューゲームの概念をもとにしたゲーム作りの時代から脱却してもいいのではないか?


今、『テレビゲーム』的概念から『デジタル・エンターテインメント』の概念へ。春のGDC(ゲームデベロッパーズ・カンファレンス)でのウィル・ライト氏の発言ではないが『内なるOTAKU』を呼び覚まし、その創造性とコンピュータ技術を使って『新しい何か?』を産み出す時代にきたようだ。(注:『おたく』と『OTAKU』は微妙に違うようです)


世界で一番最初にコンピュータでゲームを作ったウィリー・ヒギンボーサム氏の意志(科学技術は人の生活を豊かにするための生まれてきた)は引き継いでゆかねばならないと思う。 


なんか、10年ぶりにワクワクしてきたぞ。


    


写真(左)がウィリー・ヒギンボーサム氏。中が彼が作った世界で最初のコンピュータゲーム『Tennis for Two(2人でテニスを)』(レプリカ)。右が世界で2番目の業務用コンピュータゲームの『ポン』 ちなみに最初の業務用ゲームは『コンピュータ・スペース』。どちらも、ノラン・ブッシュネル氏による開発(伝説のゲーム会社アタリの初代社長)


 ←世界で最初の業務用ゲーム『コンピュータ・スペース』 操作性が悪く2000台しか売れなかったらしい。


 


【追記1】かなり楽観的、かつ希望的観測が入った意見ですが、本気でそういう動きを願ってやみません。


【追記2】E3を、おちょくった『You Tube』の動画 → こちらから

投稿者 mori-game

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