TVのチャンネルを変えていたらNHKのBSで邦画をやっていた。緒方拳と思しき男がカーブミラーを黙々と拭き続け、そして拭き終わると脚立を自転車の後ろに積んで田舎の道をノロノロと走り始める。淡々とした映像。どうやらロードムービーのようだ。『淡々としたロードムービー大好き協会』の会員、かつ会長である私はそのままその映画を観続けた。(ちなみに会員は全員で一名)


映画のタイトルは『ミラーを拭く男』


 


監督・脚本:梶田征則 出演:緒形拳、栗原小巻、辺土名一茶(DA PUMP)、国仲涼子、水野久美、 岸部一徳、大滝秀治、長門裕之(特別出演)、津川雅彦、他 :日本/2003年/ 117分 :2003年モントリオール世界映画祭出品、サンダンス・NHK国際映像作家賞2002受賞 :配給:パル企画


で、感想――



おもしろかった。ただ、この『おもしろさ』は一般の人が感じるそれではない。特にワクワクするようなスリルやサスペンスもなく、劇的なイベントやどんでん返しもなく、ヘタする観ていて眠くなってしまう。そんな淡々としたドラマ展開が好きなロードムービーファンにしか見出せない『通』なおもしろさである。


定年を目の前にして交通事故を引き起こした主人公の皆川務(緒方拳)は、それが原因で心に変化が生じる。家族に内緒で会社を辞め、事故現場のカーブミラー、そして市内全部のカーブミラーを拭き始める。そんな務に対して冷たい態度をとり非難する家族。しかし、彼はそれに耳をかさずミラーを拭きつづける。今までにない達成感を得た務は家族のもとから姿を消し、自転車ひとつで北海道へ向かう。カーブミラーを拭きつづける孤独な旅を始める為に。そして3年後、再び家族と再会する務は……という物語。


 私はこの作品を観ながら、主人公がカーブミラーをひたすら拭き続けるの行為の象徴する意味をずっと考えていた。それは、幸せな家庭という幻想を信じ、それを守り続ける為に自分の人生の殆んどを費やした男が、初めて自分の為に生きるということに目覚め、残りの人生をそれに変えてゆく為のデモストレーションなのか? それとも、『無意味さ』の中にこそ自由に生きることの答えがあると気づき、その答えを求める為の求道的な儀式なのか? いずれにしても彼にとって『ミラーを拭く』という行為は交通安全を願った社会貢献的なものでは全くなく、あくまで個人的な行為であるということだけは正しいだろう。


物語は後半、務の行為の意味を表面的にしか理解できない男(津川雅彦)によって、務の望まぬ方向に曲げられてゆくが、最後は一番務が望んでいたであろう形で終わることとなる。


この作品のサイトに出演者の作品に対するコメントが書かれてあった。その中で津川雅彦のコメントが印象深かった。(以下、サイトより引用)


(緒形拳さん演じる皆川は)ひたすら何かから逃れるためにミラーを拭いている、家族も世間もみんな排除して、ただただカーブミラーを拭いている。男ってこういうものだなあと実感しましたし、皆川に愛情が沸きました。脚本も良いし、今までにない面白い映画です。)


たしかにそうかもなぁ……。男ってひたすら何かから逃れる為に、実は家族も世間も皆排除して何かを拭きつづけたい生き物なのかもしれないなぁ……。私も実は自分でも気づいていない何かを拭きつづけているような気がするなぁ……。


 


■『ミラーを拭く男』のオフィシャルサイトはこちらから

投稿者 mori-game

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です