スピルバーグ監督の”ミュンヘン”を観ました。この映画は1972年のミュンヘン・オリンピックの選手村でおきたパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手団の殺害事件と、その後のイスラエル暗殺部隊による報復の過程をリアルかつ緊迫感のあるタッチで描いた衝撃の問題作です。


 1972年のミュンヘン・オリンピック当時、中学生だった私は正直言って難解なパレスチナ問題が絡んだ悲惨な事件に心痛めるより、男子バレーチームの活躍の方に心躍らせていたのを覚えています。ことの重大さがわからなかったのでしょう。所詮、中坊でしたから。


原題:Munich/監督:スティーブン・スピルバーグ/脚本:トニー・クシュナー、エリック・ロス/撮影:ヤヌス・カミンスキー/音楽:ジョン・ウィリアムズ/出演:エリック・バナ、ダニエル・クレイグ、ジェフリー・ラッシュ
2005年アメリカ映画/2時間44分


で、感想――



この映画をエンターテイメントとして観ればかなり楽しめました。昔の『スパイ映画』もしくは 『サスペンス』映画等のように手堅い手法で描かれ、3時間近くの長丁場も飽きずに観ることができました。特に暗殺、銃撃シーンのリアリズムな表現は『プライベイト・ライアン』等でみせたスピルバーグのお得意の技が光り、思わず手に汗にぎりました。また、パレスチナ問題に全く興味がない…というか、知らない若者達に『そのような問題があるということを考えさせるきっかけの映画』として評価できる作品だと思います。(でも、これ、知名度のあるスピルバーグだからこそ意味があるんですよね。だって、パレスチナ問題に関心のない一般の人が観てくれる確立が高くなるから)


ただ、この作品を政治的なメッセージ映画として観ると、ちょっと話は変わります。多くの辛口系の映画評論家?がワンパターンのように指摘しているように『パレスチナ問題に関するスピルバーグなりの意見』が全く提示されていません。観終わった後、『映画としてはおもしろかった。でも結局、スピルバーグは何が言いたかったの?』という気持ちがわいてくるのは否めません。ラストシーンで何気に遠景に立つ世界貿易センタービルが、スピルバーグがこの映画を撮った動機を匂わせますが、それが動機レベル、言い換えれば問題定義で終わってしまって、なんとなく消化不良な感じがするのです。


まぁ、この辺りの難しい感想はプロの評論家?におまかせするとして、私は前回観た『宇宙戦争』と同じく、映像作家スピルバーグのテクニックは評価したいと思います。彼は『擬似ドキュメンタリー』を作る天才だと思います。簡単に言えば”本物っぽいウソ”、つまり、宇宙人、恐竜、戦場…だれもが体験できないものを映画という虚構の世界で可能な限り本物っぽくつくりあげ、そして、いい意味でお客を騙し擬似体験させるテクニックでは右にでるものはいないと思います。観念的に感動させるというより、物理的(見た目)で感動させる作品作りがうまいのでしょう。(だから、彼は”映像作家”として評価が高く、”映画作家”としては低いのかも…)


映画はいろんなものがあり、いろんな楽しみ方があってよいもの。『映画とはなんらかのメッセージを伝えねばならない!』とか『人間の心を描いた奥深く芸術的なものでなければならない!』という、どこかの深夜番組で声高に主張する某映画監督のように『~ねばならぬ!』的映画ばかりだと正直、疲れてしまいます。映画はまず娯楽です。別にプロパガンダの道具ではありませんから。


メッセージがない映画もつまらないし、かといって、メッセージを訴えすぎる映画も鬱陶しい……。


『いやぁ。映画ってホンッとに難しいんですね!』(水野晴朗調)


 


【捕捉】:パレスチナ問題は、イギリス、アメリカなどの大国が行った歴史的汚点も絡めて描かないと問題の本質は見えてこないような気がします。でも無理か。そんな映画にハリウッドが金だすわけないし。

投稿者 mori-game

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