先日、ラジオを聞きながら仕事をしていたらナムジュン・パイク氏が亡くなったというニュースが飛び込んできました。


「ナムジュン・パイクかぁ…」


ナムジュン・パイク氏は韓国出身の現代芸術家であり、メディアアートのひとつである『ビデオアート』の創始者でもありました。



私が大学生の頃のことです。私が入っていた美術ゼミが中心となって、九州で初めての『ビデオアート展』を催したことがあります。ゼミのS講師は特にメディアアートが専門で『幼児だからクレヨンでお絵かきという美術教育はナンセンス! 幼児にもカメラをもたせろ』と言うぐらい革新的な人でした。田舎者の私はS講師の新鮮かつ未来のアートを予感させる話を、いつもワクワクしながら聞いていました。


今でこそ普通のジャンルになりましたが、当時(1970年の終わり頃)は『ビデオアート』はまだ一般的なジャンルではありませんでした。そもそもビデオ自体がまだそれほど一般に普及していなかったせいもあったからです。ですから当時の私は『ビデオでアートするってどういうことだろう?』と興味津々で展覧会の準備をしていたことを記憶しています。


展覧会は地元(宮崎)NHKのロビーのホールを借りて催しました。出展作家は”松本俊夫氏”、”山口勝弘氏”、”かわなかのぶひろ氏”、”ヨーゼフ・ボイス氏”、そして”ナムジュン・パイク氏”、あとは失念…でした。(今振り返ると蒼々たるメンバーだったんだなぁ…) 松本俊夫氏の作品は当時最新のビデオエフェクトを駆使したビジュアル的なもの(今のTV番組等で使われる手法の先駆け)で目先の表現に弱い若造だった自分にはとても刺激的でした。


    *写真は当時展示されていた松本俊夫の『エニグマ』と『モナリザ』 また、当時のNHKの『ニュースセンター9時』のオープニングデモもありました。


他の作家の作品で特に記憶にあるものは、ヨーゼフ・ボイス氏の『アルファベットの形をした草を羊の群に食べさせることで羊のアルファベットをつくらせ、それらを連続させることで言葉をつくるというもの』(これ、編集無しでずっとその様子をビデオで流していたのですよ)、あとナムジュン・パイク氏の『燃える炎をテレビモニターに映しつづけるというもの』(だったかな?)でした。今の『環境ビデオ』の先駆けみたいな作品でしたね。


ビデオはフィルムと違って『長時間ノンストップで記録』できることと、鮮やかな映像で『その場の臨場感や空気感』を伝えることができます。その特性を使って新しい表現や、新しい感覚的発見をしてゆこうという姿勢が当時のビデオアートの作品にはありました。特にナムジュン・パイク氏はその『発見』に対して積極的でした。


現在、安価でハイテク・ビデオ機器が購入でき、またコンピュータやソフトの飛躍的な進歩により、だれもがお手軽にメディアアートを創作できるようになりました。当時のビデオアート展で行われた”かわなかのぶひろ”氏の講演で、氏は『近い未来、だれもが気軽にビデオアートを楽しめる時代になるでしょう』ということをおっしゃっていましたが、どうやらその予想はあたったのかもしれません。


ただし、多くの人達が表現している内容が『かわなか氏が予想したようなアート』なのかどうかはわかりません。いくら技術が進化しハイテクなメディア機材が使えても、それはあくまで手段であり、肝心なのは、それらを使って『自分が何を発見し、表現するか?』という感性だと思います。もっとも、これはアートに限ったことではありませんが。


――なんて、ナムジュン・パイク氏の訃報を聞いて、ちょっと昔のことを思い出しました。


最近、仕事柄、漫画やアニメ、ゲーム等のオタクメディアづけで『アート』に関してちょっと鈍感になってきたので、また昔のようにアートっぽい世界にもちょっと顔をだしてみようかなと思う今日この頃です。


ナムジュン・パイク氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

投稿者 mori-game

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