私が「ワンダープロジェクトJ~機械の少年ピーノ(以下、WPJ)」(1994年)を制作していた頃、ほぼ同時に飯田馬之介さんはOVA「おいら宇宙の探鉱夫(以下”おいら~”)」を制作されていました。その頃、私と飯田さんは毎週のようにファミレスで仕事の打ち合わせや、情報交換、そして世間話をしていました。そして、その時に飯田さんから彼の作品である「おいら~」に対する想いをお聞きすることがありました。
- 出版社/メーカー: ソフトガレージ
- メディア: DVD
「おいら~」は御存じの方もいらっしゃっると思いますが、宇宙描写の緻密さからSFファンの間で非常に高い評価を受けたOVAでした。しかし、商業的には失敗に終わっており、全6話の構想がありながら制作されたのは2話分のみでした。以下、私の記憶の範囲ですが飯田さんが「おいら~」に込められていた想いの一部をご紹介します。
(もちろん当時の言葉とは違うかもしれませんが、内容はあってると思います。違ってたらゴメンね>飯田さんへ (^^ゞ))
『混迷し先が見えなくなった大人達の社会の中で、”働く喜び”を素直に受け止めようとする健気な少年を描きたかった』
「”働く”という、とても根源的で単純な喜びを少年(南部牛若)の目を通して描きたかった」と、飯田さんはそのような事をおっしゃってました。大人から仕事をまかせられ、責任というものを与えられ、そしてそれを失敗をしながらも一生懸命にこなし、大人に認められ育ってゆく…。いっけん普通の設定に聞こえますが、その普通のことに憧れる少年が今の時代(1994年当時)はちょっと少ないのではないか? 大人たちも社会の混迷を理由にその価値をちゃんと伝えてないのではないか? そんな普通のことの大切さをあえて宇宙で生まれ育った少年「牛若」に体験させることで「働くことの意味」を表現したいとおっしゃってました。なんか、混迷する今の日本を予言してたような気もします。その影響かどうかは分かりませんが、この頃の飯田さんはWPJ用の動画の受け渡し袋に「はたらけ」というメッセージを(おふざけで)つけて私に渡してました(笑)。(下の写真参照)
(ちなみに拙作のWPJの主人公のピーノの設定はこの頃飯田さんと話してた「少年」のイメージの影響を受けています)
(【誤】左:機械の少年ピーノ → 【正】右:機械の少年ピーノ)
『”おいら~”の最後の回で、少年の牛若に宇宙に広がる大海原を観せようと思うんです。宇宙で生まれ育ち、一度も地球の海を見たことがない少年が宇宙でそれを見て、ときめくんです』
このような話を聞いた時は、飯田さん的には設定の詳細はまだ決められてなかったようですが、でも、とにかく牛若に海を見せたい! とこだわっておられました。「海って、地球の海と見た目が同じものなんですか?」と私が訊くと、飯田さんは「はい」と答えられました。「宇宙で地球の海をどうやって表現するんだろう? あと、なんで宇宙で海を少年に見せたいんだろう?」当時の私は彼のそれらのこだわりに興味津津でした。そしてそのこだわりの秘密はいつか作品で知ることができるだろうとも思ってました。しかし、それを知ることはついにかないませんでした…。
その他にも、飯田さんは私に「おいら~」に対するたくさんの想いや構想を語ってくれました。しかし、残念ながら16年も前のことなので(彼には申し訳ないですが)ほとんど失念してしまいました。でも、何故か上記のふたつの想いだけは今でもはっきりと覚えているのです。何故か……。