アニメ監督で、拙作のワンダープロジェクトJシリーズの制作にも協力していただいた飯田馬之介(本名:つとむ)さんが2010年11月26日14時36分、肺がんのため永眠されました。享年49歳でした。闘病の状況は関係者から間接的に聞いておりましたが、やはりショックです。
飯田さんのご冥福をお祈りしつつ、昔(2004年頃)、自分のサイトで書いた飯田さんとのエピソード記事をもう一度アップし故人を偲びたいと思います。
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アニメーション監督である飯田さん(「天空の城ラピュタ」での助監督、「OVA版デビルマン」「おいら宇宙の探鉱夫」「ガンダム08MS小隊」「タイドライン・ブルー」…等で有名)は、Jシリーズのもうひとりの生みの親といっても過言ではないでしょう。彼の助言なくしてはピーノもジョゼットもコルロ島の仲間も生まれてなかったかもしれません。
飯田さんとの出会いは、エニックス時代の私が某アニメプロダクションでゲームの打ち合わせをしている時に何気なく言ったひとことがきっかけでした。『宮崎駿さんがTVゲームを作ったらスゴイだろうなぁ。一度お話をしてみたい』と。するとそれを聞いたプロダクションの社長が、『それじゃ、飯田くんに聞いてみようか?』とたまたまアニメの打ち合わせに来ていた宮崎駿氏のお弟子さんで友人でもある飯田さんを内線で呼んだのです。しばらくすると人の良いやさしい目をしたトトロのような(トトロのモデルという噂もあります)大柄な飯田さんがヌッと目の前に現われました。飯田さんは社長から用件を聞くとごく普通に宮崎氏に携帯電話で連絡をとり『じゃあ、**日に宮崎氏に会いにゆきましょう』と段取って下さいました。『えっ?マジ?』 私は嬉しさと驚きとなんとも言えない緊張感を覚えたと同時に、この飯田馬之介さんの気さくさに只ならぬに興味を持ってしまったのです。
約束の日、私は飯田さんに連れられて『ニ馬力』(宮崎氏の仕事場)へと向かいました。そして玄関から顔を出した宮崎氏は飯田さんと私の顔を見比べながら飯田さんに開口一番『弟さん?』とおっしゃいました。実は飯田さんは宮崎氏に私の素性をあえて伏せておいたようなのです。なぜなら宮崎氏は大のTVゲーム嫌い。もしゲーム会社の人間を連れて行くと言おうものなら門前払いは必至です。つまり、私がとにかく宮崎氏と話しがしてみたかったのを察した飯田さんが気を利かして下さったのです。ですから最初はニコやかに話をしてくださった宮崎氏も、私がゲーム会社の人間とわかった瞬間、顔色が変わってしまったのは当然です。そしてゲームに対する痛烈な批判が始まります。宮崎氏の発言はただのゲーム批判ではなく『受け取る子供たちの事を君達はちゃんと考えてるのか!?』という教育論的見地にたった本質を突く鋭いものだったので、私はろくな反論もできず(できるわけないっつーの)『嗚呼…ぼくは宮崎氏の大ファンなのに、日本で1番宮崎氏に嫌われたファンになっちまったなあ…』と、いい歳をして半べそをかいてしまいました。するとそんな私を見かねてか?飯田さんが『でもね…』と宮崎氏に対してゲーム擁護の援護射撃的反論をして下さったのです。そして、私はお二人の質の高い討論の場を見学することとなったのです。たぶん、宮崎氏、飯田さんにとっては日常的な討論だったかもしれませんが、当時の(今も?)『表面的なことしか考えないゲーム業界』にいた私にとってはとても新鮮に感じられました。(後で聞いた話ですが、飯田さんも最初から宮崎氏とさしで討論ができたわけではなく、並々ならぬ勉強(アニメ以外も)をされた結果、できるようになったそうです) この出来事をきっかけに私はアニメだろうがゲームだろうが、その表現方法を語る以前に『まず人として』きちんとして学び考えなければならない事があるんだなあ…と思うようになりました。
それから数年後、『ワンダープロジェクトJ~機械の少年ピーノ』の企画が立ち上がります。ゲームの性質上キャラがたたないといけません。それで『アニメでいこう!』ということになり、以前お世話になった飯田さんに協力していただくことになりました。彼にはいろいろ教えていただきました。世界観、キャラの作り方、製作者としてのスタンス…。そう、『きちんと作品を作ることの大切さ』を。
Jの開発中のことです。SFC(スーパーファミコン)のROMの容量のせいもあり、ピーノのアニメデータが足りなくなってしまいました。それで、ゲーム制作の現場ではよくあるデータカットとなり飯田さんに『容量が足りないので、ピーノの動画を*コマ内で書いてもらえませんか?』と相談しました。すると彼は『僕らアニメーターはよい動きを作りたくてがんばってるんです。コマ制限をすることは僕らを使う意味がないし、それにゲームにとっても良くないのではないですか?』と忠告して下さいました。『正論だ…。でも、物理的に無理だ。ああ、容量さえあればなぁ…』 板ばさみになった私は当時Jの担当だったF君と相談しある賭けにでました。実はJの開発中に任天堂からSFC用の大容量のROMが開発されていたのです。それを使うとアニメデーターは入ります。(当然ながら商品単価も上がりますが) 私たちは『飯田さんを信じて、まだカットしていないピーノの歩きのアニメーションをT氏に見せ判断を仰ごう』としました。T氏とはドラゴンクエストのプロデューサーであり、当時のエニックスのゲームソフト開発の総責任者でした。T氏からOKがでればそのROMを使える可能性があったのです。
そして、カットなしのピーノの動きをT氏に見せました。その結果は…飯田さんの言ったとおりでした。生き生きとした動きに対してT氏の評価は高く、これで作品が良くなるのならよいだろうと異例のROMアップのお許しがでたのです。その後、S社の某有名編集長の目にも止まり、このゲームをS社のゲーム雑誌で応援してくださることになったのです。『プロジェクトJ』というコードネームで。つまり、飯田さんが言っていた『きちんと作品を作ることの大切さ』が勝利したのです!
きちんと作品を作る…つまり、それは『創作と人に対する真摯な態度』でしょう。私は、飯田さんから大切なことを学びました。ただ、その精神は必ずしも物理的な利益(金)にはつながらないかもしれません。それでも大切なのはその精神を持ち続けることでしょう。そう、続けること…。それが『プロのプライド』なんだと私は思っています。とても難しいですけどね…。(ある意味、闘いですね。人生の。(
笑))
その後、「ワンダープロジェクトJ~機械の少年ピーノ~」は、その可能性を評価され続編のチャンスを得ることになりました。続編のJ2も飯田さんのおかげで優秀なアニメスタッフに恵まれよい作品作りをすることができました。Jシリーズはプレイヤー自身が『プレイヤーさん』というキャラになり、ゲームの外からゲームの中のキャラ(ピーノ)を成長させてゆくというものでしたが、実はこのシリーズの制作において1番成長させてもらったのは私自身だったのかもしれません。 『飯田さん』という名まえの『プレイヤーさん』に。
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以下は飯田さんの代表的なオリジナルアニメと漫画です。時代や流行におもねらず、常に良い作品を創りを目指されておりました。
- 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
- メディア: DVD
機動戦士ガンダム宇宙(そら)のイシュタム (1) (角川コミックス・エース)
- 作者: 飯田 馬之介
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2003/11
- メディア: コミック
機動戦士ガンダム 第08MS小隊 5.1ch DVD-BOX (初回限定生産)
- 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
- メディア: DVD
機動戦士ガンダム第08MS小隊U.C.0079+α 1 (角川コミックス・エース 105-5)
- 作者: 飯田 馬之介
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2007/07/26
- メディア: コミック
【追記】
・関係者しか分からない表現があったため、一部加筆、修正いたしました。
・飯田さんの作品を紹介させていただきました。
・飯田さんの葬儀の後、関係者の食事会にも出させてもらい