そのうちに観よう…と、思っていたら年を越し、そろそろ公開が終わりそうな今日この頃になったので、慌てて『硫黄島からの手紙』を観に行きました。
製作・監督:クリント・イーストウッド/製作:スティーブン・スピルバーグ、ロバート・ローレンツ/原案・製作総指揮:ポール・ハギス/脚本:アイリス・ヤマシタ/撮影:トム・スターン/音楽:カイル・イーストウッド、マイケル・スティーブンス/出演:渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、裕木奈江、中村獅童/2006年アメリカ映画/2時間21分/配給:ワーナー・ブラザース映画
で、感想―― (ネタばれ的表現があります。ご注意を)
クリント・イーストウッド監督による抑制の効いた淡々とした演出が、監督による戦争に対する考えを、強制的ではなく、静かに、そしてジワッと、まるでボディーブローのように私の心に強烈に問い掛けさせます。どこぞの巨大戦艦映画の『登場人物を殺し、号泣させ、感動させる』的あざとい演出とは雲泥の差です。
この作品の演出は鑑賞者の涙をさもしく欲しがらないので、観ていて涙が止まらないということはありませんでしたが、唯一、私が涙が溢れたシーンがありました。(以下、ネタばれ注意)
それは栗林中将が最後の時に嵐の二宮演じる一兵卒に向かって、水平線を見ながら『ここは、日本か……?』と問い、二宮が『はい……』と答え、そしてアメリカ人からもらったコルトで自決し、その後、二宮が自分の気持ちを抑えながら静かに涙を流すというシーンです。私はこのシーンに、この作品のすべてのメッセージが込められているのではないかと思いました。
人殺しの現場である戦場。しかし、どの兵も想いは遠く離れた祖国、故郷。生きたい、帰りたい、だからこそ自分が生き残る為に敵を倒さねばならない。でも敵も同じ想い。同じ想いを持った人間達が国家を預かるという権力者による命令一つで殺しあっている――。いったい誰の為の戦いなのでしょう?――そんな小学生でも持てる疑問を考えさせてくれるチャンスをイーストウッド監督はこの作品の中に設けてくれました。そして、もっと考え易くするためにアメリカと日本の両方の視点から見れるよう2作品でひとつの作品としました。もちろん考えなくても良い。それを鑑賞者にゆだねられるよう、あえて監督は抑制の効いた演出にしたのだろうと私は思いました。
ところで、ハリウッドでも嵐の二宮の演技が評価されていたようですが、実際観てみて、その評価に『なるほど』と共感できました。自然な演技でした。多分に監督のおかげでしょう。この春公開の私が楽しみにしている二宮主演の『黄色い涙』に期待がもてます。
戦争は人間以前に『獣である人間』が捨てきれない一番な原始的な解決方法だと思います。こういう政策は素直に反対です。しかし、そうは言っても国家を信じて、故郷のことや愛すべき人々のことを想いながら戦場に消えていった数え切れない兵士や一般市民達の無念を忘れてはいけないでしょう。それは死んでいった人々の犠牲の上で平和に暮らせている現代人の『心の義務』だと思います。でも、平和だとなかなか分かりませんよね。戦争の悲劇の実感なんて。毎日のようにメディアで戦争の映像を見たり、戦いの観念だけを基に何も伝えていない映画やアニメやゲームに触れていると『鈍感』にもなるってもんです。結局、再び戦争を繰り返し、自分の愛すべきものが死んだとき、はじめて気づくというワンパターンを繰り替えすのでしょうか。いやいや、それではあまりにも悲観的すぎる。もっと人間に希望を持つべきなのでしょう。
――てなことを観た後に私に考えさせた……そんな作品でした。