昨年上映された邦画”下妻物語”がツボにはまった文鳥は、その監督である中島哲也氏の次回作が気になった。そして待ちに待った次回作の発表。タイトルは”嫌われ松子の一生”。山田宗樹氏による小説の映画化のようだ。『映画は来年のようだし、とりあえず原作でも読んでみるか』と、早速購入した。内容はこの本の帯に書かれてあった中島監督のコメントが的を射ていたので、それを引用してみる。
”松子の一生は、真珠婦人より100倍波乱万丈で、ヒロシより100倍不幸続きで…不器用で、不細工で、だのに読み終えた後、ココロが妙にあたたまりました。どうすれば会える? ……うん、これは自分で映画にするしかない! と決意しました。――中島哲也(監督)”
たしかに監督の気持ちはわかる。私も読み終わった後、この松子こと川尻松子に会いたくなった。この話は松子の人生の転落劇である。まさに小説のように?”落ちてゆく”話である。明るい話ではない。ヘタするとただの陰鬱な話である。ところが、読後に妙に彼女が愛しくなってくる。ボロボロになった人生の落伍者の彼女が愛しくなり、そしてせつなくなり、そして中島監督ではないが”ココロが妙にあたたかく”なってしまうのだ。何故か? 文鳥は思うに、それは”彼女の不器用さと欠陥だらけの生き方の中に、本当の『人』を感じたから”だと思う。
世に”順風満帆な人生”というものがあるらしいが、それは多くの第三者によって”風という名の協力をしてもらえる人生”を意味するもので、決して自分の実力だけで生きていることを意味するものではないと思っている。とりあえず無難にやっている人生もそんなものだろう。しかし、その”風”が全く与えられなかった人は、仮に与えられても”逆風”しか与えられなかった人はどうやって生きてゆけばいいのか? それは決して奇麗事ではすまされない人生になるだろう。順風が与えられた人から見れば”見苦しく、眉をひそめる”生き方かもしれないだろう。でも、そんな人生だからこそ見えてくる”タイセツナモノ”があるのかもしれない。 『その”タイセツナモノ”とは何だろう?』―― 文鳥はこの松子の生き様を読んだ後考えた。
ふと、15年前に亡くなった友人のことを思い出した。彼はまるで松子のように恵まれた才能を持ちながらあえて不器用な生き方をしたあげく、ボロボロになってこの世を去った…。今、文鳥が思うに彼は”自分に正直”だった。いや、正直すぎた。ただ、それが彼の人生にとって”タイセツナモノ”だったかどうかは、今でも私にはわからない…。
話がしめっぽくなった。元に戻そう。さて、そんな松子の生き様を中島監督はどのような映像にしてくるのかが楽しみだ。案外、『人生転落エンターテインメント』としてしめっぽくなくカラリと人生賛歌してくれるかもしれない。期待したい。
*ちなみに松子役は、電車男のエルメスでお馴染みの中谷美紀。風貌が原作にそっくり。原作ではソープ嬢に転落するのだが果たして脱ぐのか!?