『マザー3』を購入して遊んでいる。RPGというカテゴリーが好きで買ったのではなく、あくまで『糸井重里』氏の世界観が好きで、それが楽しみたくて買った。


  糸井氏によるマザー3のHPはこちら



私はマザー1の時から糸井氏が使う『言葉のセンス』が大好きだ。言葉が生きているからだ。彼の本職がコピーライターで言葉の達人であったせいかもしれないが、『言葉』というものは『人間から命を授けられた生き物』であるということを良く理解しておられて(たぶん)、それが読んでいるこちらにも伝わってくる。誰のマネでもなく、今風の漫画やアニメの定石なセリフもほとんど出てこない。あくまで『糸井重里』氏自身が発する言葉の作品。そのことはゲームタイトルの前に『SIGESATO ITOI』と入るクレジットがすべてを物語る。(昔はDQの堀井さんも、セリフが生き生きとして私は彼のファンだったのだが、どうもDQ7からそれが薄まってきている。FFみたい。どうしたのかな?)


グラフィックはあいかわらずシンプルだ。ネコも杓子も3D崇拝のこのご時世において、まるで時代に逆らうようなあのシンプルさは潔い。それはきっと糸井氏が自分の作品にとって一番ベストな表現方法は何か? を確信し、プロデューサーを説得できたからだろう。でも、さすがにキューブを使って大きなテレビ画面で見るにはツライかな……。


あと、キャラで個人的に驚き、気に入ったのは、ドロボーの息子。(私はナイスガイという名前にした。まんまやんけ) だって、そのキャラ、足が不自由という設定で、移動するときに足をひきづって(差別用語とは分かっているが、あえて分かり易く言えば『びっこをひきながら』)歩いたり、走ったりするのだから。はやい話し、身障者を登場させたんですよ。普通、お堅いクライアントだったら『問題になると面倒だからやめてくれ』と言われるでしょうが。でも、彼は登場させた。たぶん糸井氏にはそのキャラが必要で、そのキャラが負った人生を『びっこ』で表現したかったという必然的な理由があったからだと思われる(たぶん)。いやぁ~、これにはまいった! 私なんか、みすぼらしい貧乏人という設定の主人公が必要で、それを提案したら、クライアントに『イメージがよくないから、やめてくれ』と言われ、スゴスゴと諦めた根性なしだ。それに比べるとえらい違いだ。。(ワンダープロジェクトJ2のジョゼットのキャラ設定の裏話しです) 糸井氏には自分の作品に対して『愛』があった(たぶん)。私には『愛』が足りなかったということか。トホホ……。


『愛が大切で~す』


さて、さて、最後にゲーム性の方だが、正直いって私には物足りない。 システム(遊び方)が古めかしく刺激的でないからだ。(でもサウンドバトルはユニークでグッドです) だからといって、このゲームを否定するわけではない。やたらと複雑化し、いったい誰の為に作っているのかと首を傾げたくなる昨今の不安神経症的RPGのシステムに比べれば、よっぽどカジュアルに楽しめる。ゲームは所詮遊びだ。遊びは『まず気軽に楽しめる』ということが基本だ。だから、このゲームのシステムは『マザー』という糸井氏の作品を楽しみたいと思っているユーザーにとってはベストなレベルだと思う。(欲を言うなら、もっと遊べるイベントが欲しいな)


私がこのゲームのシステムに物足りなさを感じる理由は、単に私が業界に長くいて、知らず知らずの内に『システムのイノベーションをあたりまえなもの』だという固定概念に陥ってしまったせいなのかもしれない。


まだ4章なので上記した感想がすべてではない。先は長そうだが、まぁボチボチとマザー3を、いや、『糸井ワールド』を楽しむとしよう。


 


【追記1】糸井さんは無理にゲームの形で物語るのではなく、アニメや映画とか他のメディアで語った方がよっぽどいいのでは? とゲームをやりながら思ってしまった。だって、糸井さんが期待していた『物語を楽しむ新しい方法論としてのRPG』はそのメディアの個性を自ら放棄してしまったのだから。それともマザー3はそのアンチテーゼなのかな?


【追記2】糸井氏のHP『ほぼ日刊イトイ新聞』の『気まぐれカメら』のコメントがいいカンジ。マザー3と同じセンス。彼が生きた言葉をどこから産み出すのか、そのヒントがうかがえる。

投稿者 mori-game

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