妖怪大戦争

妖怪大戦争



  • 作者: 荒俣 宏
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2005/07/23
  • メディア: 文庫


”妖怪大戦争”を観に行った。私が小学生の頃(1968年)観た”大映の妖怪大戦争”からどのように進化したのか気になったのと、アニメ以外の日本の家族向け実写映画が今、どのような形になっているのかも気になったからだ。(妖怪が好きというのは当然だが)


お盆の影響で映画館内にひしめき合う家族連れの群を見て、正直、出直そうかなと一度は思ったが、大勢の家族連れの反応が生で観れる機会はあまりないのでリサーチにはうってつけと思い観ることにした。


で、感想――


まず、制作スタッフが妖怪を愛し、且つ、楽しんで創っているなぁ――というニオイが画面からプンプンただよった。特殊効果も大映の頃に比べれば格段進化し見応えもあり(私個人は昔の気ぐるみの妖怪の方が好きだが…) 話としても今風のアニメのノリで家族向け映画としてはまあまあ楽しめるのではと思った……が、何か違う。劇場内の雰囲気が大映の頃と何か違う。そう、子供達の”はしゃぐ声”、つまり笑い声や驚きの声が予想以上に少ないのだ。私の気のせいか? それとも、私の中の”昔はよかった病”がついに発病し聴力を鈍らせたのか? いやいやそんなことはあるまい…


原因を考えてみた。まず映像。これは問題ないと思う。CGの技術(クオリティーはさておいて)で目では十分に楽しませてもらった。次にシナリオ、どこが大戦争なのだ?というつっこみは多々あるが、まぁ、わかりやすくていいんじゃないの? という気はした。じゃあ、あとは何か? 実は、この映画が子供達と若干の距離を置いたのは、上記にもした”制作スタッフが妖怪を愛し、且つ、楽しんで創っているなぁ”というところが最大の原因ではないかと思った。この映画を創っているのは当然ながら子供ではなく大人達だ。その大人達があまりに楽しんで創っている為に、子供達の為の映画にするというより、自分達の為の映画にするために少し大人の言葉で語りすぎたのではないか? 言い換えれば大人のノリが強すぎて子供を達を置いてけぼりにしてしまったのでは? ということだ。楽屋落ちのギャグ。妖怪そのものよりもの”中の人”を目立たたせようとする演出。親御さんを意識した教育的セリフ。これもまた親御さん(特に父ちゃん)を意識した露出度の高い女性キャラ等……正直、この映画を観ていて『この映画って、一人の作家が話をまとめたのではなく、皆でウケル為のアイデアをワイワイと出しながらノリでまとめてしまったのかな?』と思ったぐらいだ。もしそうなら全包囲網で客のニーズに答えようとした制作態度が、逆に映画自体のピントをボケさせてしてしまったのかもしれない。


――と、まぁ、理屈っぽく難癖をつければその辺りが気にはなったが、家族向けの映画としては十分合格点だと思う。神木くんは可愛いし、栗山千明は存在感あるし(色っぽいし)、豊川悦司はナイトヘッド以来の超能力を見せてくれるし? 大沢オフィス三人衆や水木御大は出ているし、サービス精神満載だ。映画を観たあと子供たちが「あの妖怪は何なの?」と親に尋ね「ああ、あれはね、小豆洗いといってね…」と自慢気に答える親子の会話を想像すると微笑ましくなる。こういう映画こそヒットして欲しいものだ。


PS1:大沢さんがホーム*ス役で出ていたけど、ギャグ、はずしたなぁ… 宮部さんと京極さんはあいかわらず達者だったが。


PS2:川太郎、最後まで宮迫の2役と思ってたが、実は阿部サダヲだったのですね。

投稿者 mori-game

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です