「海のトリトン」は私が中学2年の頃、その独特のシナリオと演出にはまり毎週かかさず観ていたアニメだったが、その最終回はすこぶる納得ができない内容で観終わって腹を立てた記憶がある。
あれから数十年たち、その最終回がYoutubeでアップされていた。あの頃、子どもだった私が何に腹をたてていたのかを、もう一度今の大人の目線で確認したくなったので観てみた。
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で、大人の目線で観てみた感想―― (注:かなり辛口です)
だめだめ! 今の大人の目線で観てみてもこんなん納得できないぞ。こんな視聴者をうらぎるような底の浅いどんでん返しはやっちゃダメだろ。大人にも年期が入り、ちっとやそっとじゃ動揺しない今の私が観てもヒックリ返りそうになったぐらいだから、当時のガキだった私の落胆ぶりは想像に難くない。
総監督は、あのガンダム富野喜幸 。ガンダムでやっていた『善悪の相対化』というテーマを、ガンダムより前の作品であるこのトリトンの最終回で臭わせているが、その描き方があまりに唐突すぎる。トリトンというキャラの魅力はガンダムのアムロと同じように、その大人になりきれない未熟さにある。そう、『中ボー』そのものなのだ。だからこそ、当時『中ボー』だった私はトリトンの『中ボー』の部分に感情移入でき、まるで自分が冒険しているような気持ちになり毎週かかさず観続けられていたのだろう。
その冒険はポセイドン族を倒す為の勧善懲悪なものであると信じていた。ところが、それは最終回で見事に裏切られた。なんの伏線もなく『本当に悪いのはポセイドン族ではなく、トリトン族だった』というどんでん返し。勧善懲悪の『善悪の絶対化』で進んでいた物語が、突然、最後の最後で『善悪の相対化』というコペルニクス的転回をしてしまうので、なにがなにやらわからない。あげく、トリトンのオリハルコンの剣の輝きのせいで、生き残ったポセイドン族は全滅し、おまけに誘曝させた海底火山のせいでポセイドン族の海底都市も消えてしまう。実はオリハルコンの剣はポセイドン族を皆殺しにするための禁断の最終兵器だったというオチ。
なんと後味の悪い……。
富野監督は最終回で『何が善で、何が悪なのか?』という、とてもインテリジェンスのある深遠なテーマに突然目覚めてしまったのだろう。それはきっと観ていた視聴者(特に子ども達の)の心情よりも次元の高いものだったに違いない。――なんてな皮肉も言いたくなるようなデキの悪い最終回を数十年ぶりに観て、あの頃の落胆…今で言うならば『ムカツク』気分がリアルに蘇った。そうそう、最後のナレーションに対して中ボーだった私がつっこんだセリフも思い出した。
ナレーション『そして、また、少年は旅立つ……』
中ボーの私『どこへだよっ!?』
善悪の相対化は悪くない。オリハルコンにそんな悲劇的な設定があったのもかまわない。ただ、もうちょっと技術的に『うまく』表現してほしかった。とにかく最終回までは大好きな作品だったから……。
あの頃に私に同情する……。
(なんか、書いていてだんだん腹がたってきた。こりゃトラウマだな(苦笑))