テレビゲームが繁栄して30年以上たつというのに、テレビゲームをひとつのメディア、もしくは文化として論じた学術的な本は何故か今まで見受けられませんでした。(早い話、書ける人がいなかっただけの話ですが…) でも最近になって私が読んでも『これはいいかも!』と思えるものがチラホラでてきたようです。


 


テレビゲーム解釈論序説/アッサンブラージュ

テレビゲーム解釈論序説/アッサンブラージュ



  • 作者: 八尋 茂樹
  • 出版社/メーカー: 現代書館
  • 発売日: 2005/08
  • メディア: 単行本




この本は、児童文化論、メディア論を研究されている八尋茂樹氏によるものです。氏はこの本を書いた動機をこう述べています。(以下、本文より引用)


 


おそらく本書を手に取った人のほとんどは、テレビゲームをめぐる事象に真正面から向き合ってみようとしている人たちに違いないし、実際、本書はそのような人に向けて書かれている。そして今後、「所詮子どものおもちゃ」と蔑まれて終わりがちなテレビゲームの議論に対しても真摯でありつづける読者とともに深めていきたいと願っている。また、ゲーム機やゲームソフト制作してきた人たちは、名作、駄作という世間のレッテルに関係なく全力で取り組み、いとおしい思いで世に送り出してきたことであろう。ならば批評する側も可能な限りの知を動員して分析し、批判も評価も全力で行うべきではないかと考える。そして、これが本書で展開する論議のスタンスであり、このスタンスの持続こそがテレビゲームの文化的水準の向上に一役買うに違いないと信じてやまない。他の分野がそうであったように。


 


好感の持てる動機です。本の内容ですが、ゲームをひとつの表現メディアとしてとらえ、そこから見えてくるゲーム自体の真相とゲームに対する社会の意識を考察する…という感じでしょうか。対象となる多くの作品群からきちんとデータをとり検証し論をたてるという真摯な姿勢です。今までのこの手の本にありがちな『関係者から聞いた情報や、経験則や憶測から論をたてる』というものはなくかなり学術的です。私のような現場経験者の人間にとっては書いてあるゲームに関する情報自体には特に新鮮味を感じませんが、その考察の方法はとても参考になります。私も含め、現場でゲームびたりになり『馬鹿』になってしまった業界人間達には良い薬になること請け合いの本と思われます。


 


「おもしろい」のゲームデザイン―楽しいゲームを作る理論

「おもしろい」のゲームデザイン―楽しいゲームを作る理論



  • 作者: ラフ コスター
  • 出版社/メーカー: オライリージャパン
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: 単行本


 


この本は私が受け持っているゼミの生徒のT君から「先生が日頃言われてることと似たようなことが書いてありますよ」と言われて借りたものです。本の作者はラフ・コスターというゲームデザイナーで、「ウルチマ・オン・ライン」等のMMO(マッシブ・マルチプレイヤー・オンラインの略、早い話がネットゲームのことです)に携わりMMO賞なんかももらったそうです。早速、家に持ち帰りで読んでみました。う~む…なかなかのゲーム文化論でした。ただ…ちょっと内容が観念的すぎて、どちらかというと”哲学書”のような感じがしました。ラフ氏は大学で芸術論を学ばれたらしく、それもあってかゲームを芸術に結びつかせようとする思考実験的論がメインのような感じがしました。ですから『おもしろいゲームデザインをする為の実践的ノウハウ』を求めてこの本を買った人は少々拍子抜けするかもしれませんね。


 


書かれていることは観念的でしたが、ただ、彼が言わんとすることは理解でしました。何故なら私もラフ氏と同じようなゲームに対する志向を持っているからです。(実際、私はUSAのデザイナーと仕事をした時、彼等と話しがあった経験があります。何故か日本人とはあまりあいません(苦笑)) 生徒のT君が僕にこの本を薦めた理由が納得できました。


 


ただし、私はこの本で唯一反論したい個所がひとつあります。それは――(以下、本文より引用)


 


ゲームを擁護するものの中には、ゲームを特別であることの印として、ゲームでは双方向のやりとりができるという事実を強調する人たちがいます。そうでない人は逆に、芸術は製作者の意思と統制に根ざしたものだから、双方向のやりとりができることこそ、ゲームが芸術たりえない理由だというわけです。どちらの立場も虚言だと考えています。あらゆる芸術媒体が双方向にやりとりをおこなっているからです。


 


これは、『観念的双方向性』と『物理的双方向性』をごっちゃにした意見だと思われます。ラフさんは『これは学術的な意見』と捕捉していますが、自説を正当化する為に自分の論旨があやふやな点を考察せずに学術的と言うのはいかがなものか?という感じがしました。私はテレビゲームは『物理的双方向性の遊戯性』がその特徴であると硬く信じています。これに関しては、この本を推薦しているウィル・ライトさん(シム・シティーの作者)も私とお同じ考えだと思うのですが…。(ラフさん、ちょっと芸術論に傾倒しすぎじゃないかな? それとも芸術にコンプレックスでもあんのかな?) あと気になったのは、この本の日本語訳がちょっとあやしい感じがしました。そもそもこの本で訳されている”芸術”という言葉が、ラフさんが言うところの”ART”と同義語かどうかが怪しいところです。何故なら日本人が使う”芸術”の意味と、アメリカ人の使う”ART”の意味は微妙にニュアンスが違うからです。


 


まぁ、気になるところもありましたが、それ以上に”インテリジェンス”に満ち溢れた水準の高い本でした。なかなか勉強になりました。ありがとうT君。私も含め、現場でゲームびたりになり『馬鹿』になってしまった業界人間達には良い薬になること請け合いの本と思われます。 


 


――今日から”です、ます調”に変えた文鳥さんでした(他意はなし)


 


【追記】そういえば、昔アメリカのゲームデザイナー達と話したとき、彼等が”インテリジェンス”という言葉にかなり敏感だったことを思い出しました。

投稿者 mori-game

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